深い海の底
深い海の底
深夜、太平洋のどこかにある無人島の沖合で、一隻の小さな潜水艇が静かに海底へと沈んでいった。乗っているのは、深海調査チームの三人——田中博士、助手の美咲、そして操縦士の慎也だった。
「博士、本当にこの場所に沈没船があるんですか?」
美咲が緊張した声で尋ねる。
「ああ、古い記録によれば、100年以上前にこの近くで行方不明になった船があるそうだ。地図にも載っていない、いわくつきの沈没船だ。」
田中博士が興奮気味に答えた。
「俺は、こういう話はあんまり好きじゃないな……。」
慎也は苦笑しながら計器を操作し、潜水艇をさらに深く降下させる。
水深1000メートル、1500メートル、2000メートル……。
光の届かない暗黒の世界に、彼らの小さなライトだけが頼りだった。
「……博士、何か影が動きました!」
美咲が息を呑む。モニターに映る海底の映像に、奇妙な黒い影が横切った。
「……魚か?」
慎也が慎重にライトを向けるが、何も見えなかった。
「気のせいかもしれんが……慎重になろう。」
田中博士が低くつぶやいた。
その時だった。
「警報!?水圧が急に……!!」
慎也が叫ぶ。潜水艇の計器が異常を示し始めた。
「何かが近づいてくる……!!」
美咲が震える指で画面を指さした。
暗闇の中から、巨大な影がゆっくりと近づいてきた。
「……人間?」
田中博士が目を凝らす。影は確かに、人間の形をしていた。
だが、それは異様に長い手足を持ち、肌は白く、海藻のような髪が揺れていた。
「ありえない……こんな深海に……!」
影は潜水艇の窓のすぐ前まで近づくと、ゆっくりとその顔を見せた。
それは——笑っていた。
「うわああああ!!」
美咲が悲鳴を上げる。
慎也が必死に操縦桿を握り、後退しようとする。しかし、潜水艇は動かなかった。
「まるで、何かに掴まれているみたいだ……!」
慎也が歯を食いしばる。
その時、影が動いた。
白く細い指が、ガラスをトン……トン……と叩く。
「……出して……」
かすれた声が聞こえた。
「なんだ……?」
田中博士が震える声で言う。
「……出して……私も……一緒に……」
その瞬間、潜水艇が激しく揺れた!
「ダメだ!このままじゃ沈む!!」
慎也が叫ぶ。
「浮上するぞ!!」
慎也は必死にエンジンをふかした。しかし、潜水艇は動かない。
「離れろ!!!」
田中博士が怒鳴る。
すると——
「ニタァ……」
その影が、さらに不気味な笑みを浮かべた。
そして——
ガラスの向こうに、無数の手が伸びてきた。
「くそっ!!」
慎也が緊急ボタンを押す。
潜水艇は急上昇を開始した。
「間に合え……!」
三人は息を呑む。
水圧が変わり、潜水艇が浮上し始めた瞬間——
「……待って……」
低く、沈んだ声が響いた。
その時——
ガラスが——
パキッ……。
小さなひびが入った。
「嘘だろ……!」
田中博士が叫ぶ。
「このままじゃ、船が壊れる!!」
慎也が必死に操縦する。
潜水艇はさらに上昇した。
ひびが広がる。
そして——
——ブチッ!!!
「うわあああ!!」
美咲の悲鳴。
潜水艇が、ついに海面へと飛び出した。
「……助かった……?」
慎也が震えながら言った。
しかし——
ガラスには、無数の手形が残っていた。
「……終わってない……?」
田中博士が、息を呑む。
その時——
「トン……トン……」
船の外側から、微かに聞こえる音がした。
まるで、誰かがまだそこにいるように——。
(終)

コメントを投稿