古井戸の底
古井戸の底
日本のある山奥に、長い間使われていない古井戸があった。その井戸は「決して覗いてはいけない」と言い伝えられ、村人たちは誰も近づこうとしなかった。
しかし、都会から引っ越してきた高校生の佐々木翔太は、そんな迷信を信じなかった。好奇心旺盛な彼は、ある夜、友人の山田健太と共に、その井戸を見に行くことにした。
「本当に何かいるのか、確かめてみようぜ。」翔太は懐中電灯を手に、井戸の前に立った。
「やめとけよ、変な噂もあるんだろ?」健太は不安そうに言った。
「迷信だって!ちょっと覗くだけだから。」翔太は笑いながら、井戸の縁に身を乗り出した。
井戸の底は真っ暗で何も見えない。懐中電灯の光を落としてみても、深い闇が広がるばかりだった。
「何もないじゃん。」
その時、井戸の底から、かすかに何かが動く音が聞こえた。
「…カサッ…カサッ…」
「何か聞こえたか?」翔太が囁く。
「おい、帰ろうぜ。」健太は怖気づいた。
しかし翔太は興味を抑えられず、井戸に向かって叫んだ。
「誰かいるのか?」
その瞬間——。
「おかえり…」
井戸の底から、か細い声が響いた。
二人は顔を見合わせた。
「今、何か言ったよな…?」
「や、やばいって!」
慌てて走り出した二人の背後で、「おかえり…おかえり…」と、だんだん近づいてくる声が響き渡った。
翌日、翔太は村の古老に話を聞いた。
「あの井戸か…。昔、ある少女が落ちて亡くなったんじゃよ。村の者は助けようとしたが、結局見つからんかった。」
「それが、幽霊になったってことですか?」
古老は静かに頷いた。
「井戸は、そのまま閉じられたはずじゃが…お主、本当に覗いたのか?」
翔太は青ざめた。確かに井戸の底には何もなかったはず。しかし、あの声は確かに聞こえた。
それから数日後、翔太は奇妙な夢を見るようになった。
——井戸の底で、少女がこちらを見上げている。
「おかえり…」
そしてある晩、翔太の部屋の窓の外から、井戸の底と同じ声が聞こえた。
「おかえり…」
振り向いた瞬間、窓の向こうには、黒く濡れた髪の少女がじっと翔太を見つめていた——。
それ以来、翔太は急に体調を崩し始めた。夜になると、高熱にうなされ、決まって井戸の夢を見る。
「おかえり…」
目を覚ますと、枕元には湿った手形が残っていた。
翔太は恐ろしくなり、健太に相談した。
「マジでヤバいかもしれない。夜になると、夢の中にあの少女が出てくるんだ。」
「お前、本当に呪われたんじゃないのか?」
二人は再び古老の家を訪れた。
「それは…もう戻れんかもしれんのう。」古老の顔が険しくなった。
「どうしたら助かるんですか?」
「…井戸に謝るしかない。」
二人は再び井戸へ向かった。
「ごめんなさい…」翔太は震える声で井戸の前に跪いた。
すると、井戸の中からぼんやりと白い影が浮かび上がり、少しずつ消えていった。
それから、翔太の体調は回復し、夜の悪夢も見なくなった。
しかし、それ以来、井戸の周りでは新たな噂が囁かれるようになった。
「夜になると、井戸の底から『おかえり…』という声が聞こえるらしい…。」
翔太はもう二度と井戸に近づこうとはしなかった。しかし、ある日、健太がいなくなった。
警察が捜索を行ったが、彼の姿はどこにも見当たらなかった。
翔太は思った。
——まさか、井戸の底に…?
恐る恐る井戸を覗くと、そこには…
「おかえり…」
白い手が、ゆっくりと彼を招いていた——。

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